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新事業所「チャイルドステーションつうゆう」開設から2か月

ーー 9月14日 ーー

 今年の4月頃から急にスタッフが揃うようになって、急遽、新しい事業所の申請をしてばたばたと7月に開設にこぎつけました。NPO法人の建物を使うので、そんなに大変ではないだろうと思っていたけれど、いざ開設になるとやはり物品の大掛かりな移動、備品の購入、照明や壁紙の取り換えなどなど、目の回る忙しさ。

 同時に、ジョインという相談業務も並行して行っており、しかも6月は1年で最も件数が多い月で、市役所の担当者からも「大丈夫ですか?」と気遣いをしてもらっていました。学習支援のスタッフが市役所の担当職員に、「教育会館が大変なことになっているから見に行って」と言ったということで、見に来てくれました。障害児通所事業所に模様替えしたようすを見て、「先生(私は先生失格だったけど、いまだにこう呼ぶ方がいます)、すごいですね。よくやりましたね」と。私は、「これはどうしてもやりたかったことで、これやらずに死ぬわけにはいかなかったのです」。彼、「できたからと言って、死なないでくださいよ」。 

 それにしても、需要があるからと言って新しい事業所を開設しても、当然すぐに利用者で定員が埋まるというものではなく、7月8月は大赤字なのです。 それでも、今回のスタッフは本当に得難い方々で、その人間性と実践の力には感服しています。居心地がよくて専門性が高い事業所をめざしていますが、このスタッフであれば私が思い描いていることを超える支援をするだろうと大いに期待しています。

 自分では日々全力で走っているような感じなのですが、周りからは「なにをやっているのか?」と疑問に思われてもいるかもしれません。この間、山にもほとんど行かず、ただランニングと畑作業だけは続けてきました。しばらくはこんな感じで続いていくのでしょう。

つうゆうの看板の写真

67歳、スノボを楽しむ

ーー  2月9日  ーー

 67歳になった私がスノボができるようになってきた。リサイクルショップで2千円で買ったスノボで、田沢湖スキー場の一番ゆるい斜面をやっとS字カーブですべれるようになった。これがとてもうれしい。

 運動神経は生まれつきなのか、乳幼児期の経験のたまものなのか、これら両者の相互作用なのか、いずれにしろ、私が運動神経がいいということはない。体力も筋力もある程度はあるのだろうけれども、私がそれについて上位クラスであるわけがない。小学校から大学まで体育でいい成績をつけられたことはないし、部活で試合に出られる部員でもなかった。そもそも部を途中でリタイアしていた。でも、今思うのは、「そんなこと関係ないよ」ということで、この年になって運動して充実した気持ちになれることがとてもうれしい。

 私にはスノボはてごわかった。ボードを装着して立ち上がるのに一苦労。リフトに乗るのは一大事業で、ときどきリフトを止めてしまっていた。いまだにリフトを降りてスーとすべらずに転んでしまうことがある。それでも、「少しずつやれば必ず少しずつ上達するはず」という信念で苦節?年。そのとおりS字ターンらしきものができるようになった。これでいい。できる人からみたらものすごく下手だろうと思うが、その時にできることしかできないし、そこからもっとうまくなりたいと挑戦してできていく。

 やりたいことをやれることが幸せだ。

NPO法人設立12年目の雑感

ーー  11月24日  ーー

 先日、NPO法人男鹿潟上南秋教育会館の定時総会が無事終了しました。2013年4月の設立からすでに12年目に入っています。おやおや、2022年は10周年だったのですね。何年経過した意識もなく、ただ突っ走ってきて、余裕がなかったですね。20名の会員の皆様を心からありがたく思います。

 誰から要請されたわけでもなく、たまたまその時の巡りあわせから私が以前の財団法人の形態からNPO法人に組織替えをし、理事長となった私からのお願いに応じて2人の会員が小学生に学習支援を始めたのでした。それは中学生への学習支援になりました(スタッフも変更。小学生への支援は中断)。私はかねてから障害児支援の仕事をしたかったので、研修を受けて障害児・者相談事業所、放課後等デイサービス事業所を立ち上げて運営してきました。会員から手伝ってもらって引きこもりの方と不登校の子どもの支援と保護者との相談もしてきました。 

 地元の市役所とは密接に連携してきました。最近は近くの県庁の出先機関の担当者とも関係ができつつあると思っています。

 退職教員が中心の運営でしたが、スタッフに社会福祉士が加わり、今年は認定言語聴覚士、公認心理師(臨床心理士)も加わりました。私も公認心理師資格をはじめ様々な資格を取得してきました。

 誘っていただいて初秋に鳥海山のある沢を登りました。お師匠さん、沢登りのプロの方が連れて行ってくれるので私でもついて行けます。鳥海山の沢は初めてでした。滝を一つ登ったかと思えば目の前にまた滝、お師匠さんは「一難去ってまた一難!」とぽろり。超初心者の私は岩にしがみついて滝を登る途中でドボンと滝つぼに落ちること数回(ケガなしで何よりでした)。お師匠さんとプロは落ちませんものね。同じように登っていても状況判断・体の使い方が、見ていてはわからないのですけど熟練しているのですね。

 

 このNPO法人の運営はまさに「一難去ってまた一難」(おそらくどの法人の経営も同じなのかな)。しかも経営の経験どころか仕事で管理するような立場に一度も立ったことがない私が理事長では「ドボン・落ちる」の繰り返しです。今も大変な危機の状態です。それでも、今やこのNPO法人はこの地域になくてはならない存在になっていると思います。一緒にがんばってくれているスタッフにひたすら感謝です。この方々がいなければ、この法人はすぐ倒れます。

 

 健康第一、ランニングを続けています。昨日は初雪、今朝も寒いけど外に出ました。いつものコースに全国高校駅伝に出場する高校の陸上部員たちが走ってきます。彼らのスピードの半分にもならない私。私に向かって「おはよーっ!」とあいさつしてくれる。とてもうれしいですね。つらいことがなければいいけど、そんなことはありえなく、つらいことを乗り越えていく工夫と努力と根性ですよね。

家事をすることは、家族、社会に参加する一助になる

ーー  8月25日  ーー

 最近、私は知的障害や発達障害がある「児」の支援計画案に、「自分で使った食器を片付ける、洗う」、「掃除機をかける」、「準備してやった洗濯機のスイッチを押させてみる」など、「家事をしてみよう」と書くことが増えた。NPO法人で経営している多機能型児童通所事業所の会議でもこれらをやってほしいと提案している。

 子どもにとって家族や職員がしている活動に参加することは楽しく充実することなのではないかと思う。食べることも排泄することも生きるための動作すべてを親に依存していた状態の時も、子どもは泣いてケアを求め、笑ったり動いたりで表現し要求し、家族をはじめ人々とコミュニケーションをとっている。人とかかわって自分の役割を果たしていくこと、自分と相手がお互いに認め合うことが必要だ。      成長してだんだん自分でできることが増えて、自立へと向かっていく。家事にかかわる技能がまだまだお呼びでなくて、することによってかえって迷惑なのであれば、それをする時期まで待たなければならないだろうが、できそうであれば大人がちょっと手を貸してもやってもらうのがいいと思う。頃合いを見て、「お手伝い」とか「自分のことは自分で」ということで、家事労働に誘って子どもが実際に行ってみる。子ども自身が「わたしもやっている。できる」と、うれしくなるような気がする。家族や集団に参加している意識を高めるとも思う。動作・技術の向上もねらえる。

 子どもがその時その場で「何をしていいのかわからない」ことはつらい気持ちにつながりやすい。家事をすることがすべてではないが、家族や集団の中で自分の役割を果たすことをあたりまえとして自然に行うのであれば、自尊心を維持する一助になると思う。家族や集団の中で状況に応じて自分のやるべきことをすることは、人との関係の中で状況に参加していくことなのだろうと思う。

blueberry

苦労の連続の親、大したことができるわけじゃないけど、やはり偉大だ!

ーー  3月24日  ーー

 障害がある子どもの修学や進路について、やってみなければわからないのだが、始める時に「大丈夫だろうか?」と、つい思ってしまうことがある。

 小学校入学にあたり、通常学級に在籍する。トラブルが起こる。「いつでも観に来ていいですよ」と言う学校で、実際に観に行って、私は「いいのだろうか?」と心配になってしまった。担任の先生に「特別支援学級がいいんじゃないの?」と問いかけてみた。担任の先生、「大変だけど、まだ大丈夫です」と答えた。実際、大丈夫だった。小学校の先生はすごい。

 お母さんの気苦労はどれほどのものだったか。これからもどれほどの苦労があるものやら。生まれる前からのつきあいがあるわが子を信じ切れるのは直観なのか何なのか、とにかく子どもは2次障害を起こすどころか、徐々にトラブルも減り、人の気持ちがわかっていく。

 子どもは放っておかれてなるがままに成長していくのではない。そこには日々の生活があって、ご飯を食べてお風呂に入って寝て、遊んだり出かけたり買い物に行ったり、一緒に笑ったり泣いたり怒ったり騒いだりしながら、「こうなってほしい」と心底思う親の願いがあって、それは言葉になろうがなるまいが子どもに通じているのではないだろうか。それはわが子にだけ通じているのではなく、支援に関係している人たちにも通じて、総合的な大きな力になっているのではないだろうか。

 「あきらめるわけにはいかない」のだよね。あきらめたくもなるだろうし腹も立つよね。 小学校・中学校であの問題この問題と悩みに悩んだ家族だが、その子どもが高校に合格する。両親の努力と忍耐。学校で、なんとかこの生徒と家族を支えようと共感的に接し、使命感をもって広い心で対応してくれた先生がいた。紆余曲折あっても、高校に進学できた。これから歯車がうまく回っていきますように。

flower of spring