苦労の連続の親、大したことができるわけじゃないけど、やはり偉大だ!

 ーー  3月24日  ーー

 障害がある子どもの修学や進路について、やってみなければわからないのだが、始める時に「大丈夫だろうか?」と、つい思ってしまうことがある。

 小学校入学にあたり、通常学級に在籍する。トラブルが起こる。「いつでも観に来ていいですよ」と言う学校で、実際に観に行って、私は「いいのだろうか?」と心配になってしまった。担任の先生に「特別支援学級がいいんじゃないの?」と問いかけてみた。担任の先生、「大変だけど、まだ大丈夫です」と答えた。実際、大丈夫だった。小学校の先生はすごい。

 お母さんの気苦労はどれほどのものだったか。これからもどれほどの苦労があるものやら。生まれる前からのつきあいがあるわが子を信じ切れるのは直観なのか何なのか、とにかく子どもは2次障害を起こすどころか、徐々にトラブルも減り、人の気持ちがわかっていく。

 子どもは放っておかれてなるがままに成長していくのではない。そこには日々の生活があって、ご飯を食べてお風呂に入って寝て、遊んだり出かけたり買い物に行ったり、一緒に笑ったり泣いたり怒ったり騒いだりしながら、「こうなってほしい」と心底思う親の願いがあって、それは言葉になろうがなるまいが子どもに通じているのではないだろうか。それはわが子にだけ通じているのではなく、支援に関係している人たちにも通じて、総合的な大きな力になっているのではないだろうか。

 「あきらめるわけにはいかない」のだよね。あきらめたくもなるだろうし腹も立つよね。 小学校・中学校であの問題この問題と悩みに悩んだ家族だが、その子どもが高校に合格する。両親の努力と忍耐。学校で、なんとかこの生徒と家族を支えようと共感的に接し、使命感をもって広い心で対応してくれた先生がいた。紆余曲折あっても、高校に進学できた。これから歯車がうまく回っていきますように。

flower of spring

子どもがどんな気持ちでいるか、どうしたら理解してくれるかを想像して、支援する

ーー  12月11日  ーー

自閉症がある子どもの支援についてです。

 自閉症と言っても、子ども一人ひとりで状態が異なるのですが、この子たちはよく「こだわりが強い」と言われます。「こだわり」が見られた時に、支援者が「自閉症だものね」とみなして「こだわりがあるのだからしょうがないね」で済ませては、ちょっと困りますね。

 かつて知的障害の養護学校と言われていた学校の教員をしていた頃、もう30年ぐらい前のことです。冬の日に、ある小さな女の子が手袋を見て泣いて、手袋をしようとしないことがありました。ところが、次の日に彼女はすっと手袋をして外に行きました。おそらく彼女はそれまでに手袋をすることを求められたことがなかったのではないでしょうか?だからとても不安に感じて泣いた。「私はこれまで手袋をするように求められたことはなかった。これは何?どうするの?」と言葉での表現はしませんね。そうはできません。不安でなんとなく怖くて泣くしかなかった、ということだったのではないでしょうか?でも、前日に周りの子どもたちが手袋をして外に行くのを見たので、「こうやって外に行けばいいのね」と納得して自分から手袋をしたのだと思います。

 当時の養護学校で彼女は「重度・重複」と見られて、そのグループで指導を受けていました。でも、経験していないだけで、一度本人が納得できるように教えてもらったり、自分から納得できたりすれば、何事もなかったように目的に応じた行動をするのでした。彼女が理解するルートに応じて支援すれば目的に応じた行動をするのでした。

 支援する者が、このような理解をしないとか「どうしたらわかってもらえるだろうか」と努力をしなければ、「混乱している子ども」とみなして、それに応じた対応をしてしまいかねません。

 学校の避難訓練で上履きを履いたままではどうしても外に出られなくて混乱する生徒を担任した時、前からいる先生から「避難訓練では大変なことが起こる」と聞いていました。訓練前日に、やや強引な指導でしたが、私が彼の上履きを玄関からポイっと外に投げ出したことがありました。

彼、「ウワッ!なにをする!」。

私、「まあ、いいからこうしましょ」と、彼を押して、靴下のままで玄関からすぐそこにある上履きを取りに行かせました。そうしても「この世の中では安心して過ごせる」と実感できた彼は、避難訓練で何事もなかったように上履きのままグラウンドに避難できたのでした。

彼と私はどういうわけかウマが合っていつもニコニコ笑い合える関係だったので、こんなやや強引な取り組みも成功すると私には確信があったので行ったことでした。

 もし、彼女や彼が「気持ちが乱れやすい」「いつも混乱する」と見られ続けていたらどうなっていたでしょうか?実際に彼は以前のクラスでは特定の同級生たちとの折り合いが悪く大変苦労していました。そういう期間が長かったのでした。しかし、なぜかウマが合う私が彼と休み時間に面白おかしく楽しく過ごしていると、折り合いが悪かった同級生たちが寄ってきて、彼をおもしろがるようになりやさしくなり、やがて彼はそのクラスで明るく授業を受けるようになりました。

 表面上の理解で「(あの生徒は)いつも気持ちが乱れる」「指導が難しい」と思うところから、支援者はもう一歩踏み込んで、「それじゃあ、どうしたら子どもに理解してもらえるだろうか」と相手の気持ちや状態を想像し、彼らが理解するだろうと考えられる方法で支援することが大切です。予想が外れてうまくいかなければ、考え直して別の方法で取り組めばいいのです。

 ただ、気をつけなければならないのは、支援する側と支援される側両者の根底に相手を思いやり尊重して安心できる信頼関係がなければどんな支援もうまくはいかないということです。また、「こだわっている」「不安に思っている」時の状況によっては、踏み込んでいかずにそっとしておいた方がいいこともあります。普段の心を通わせた付き合いから、言葉で言わなくても相手の気持ちが自然にわかってくることもあります。ウマが合うとそうなっていきます。どんな時もどんな人ともそうできるのではありませんが、そうなるような努力をしなければ始まらないのです。

稲刈り後の田んぼ

家庭と教育と福祉の連携を

ーー  11月28日  ーー

 11月はまた、私の事業所と契約している利用者さんたちが学校・教育委員会との間で調整が必要でした。これは実に大変な重労働でした。

 小中学校の先生たちは、研修を受けているので、「発達障害」「特別支援教育」について大まかな理解をしているはずです。しかし、目の前にいる障害がある児童生徒を理解すること(アセスメント)にとても苦労する場合が実際にはあります。先生たちにとって自分たちの経験や入門段階の研修の知識ではとても歯が立たないお子さんの状態があるのです。学校や教育委員会で専門家だと言われている職員にも初めてのケースで知識がないということがあります。こうなると、学校も教育委員会もどうしていいのかわからないというのが実情ではないでしょうか?

 これを何とか円満にそのお子さんに合った本来のあるべき教育が行われるように進めていきたいのです。というより、そうしなければならないのです。これは、お子さんとご家族を尊重してていねいに相談していくというごく常識的な対応と、これまで自分たちが身につけてきた考えでは太刀打ちできないためにそのお子さんの状態に合った支援方法を全力で探す(この方法はこれまでの自分たちの常識からかけ離れている場合もある)という両面を同時に進めていく困難な作業です。お子さんやご家族が不安に思うことがないように、「今はわからないけど、みんなで力を合わせてお子さんに合う教育をしようと努力しています。ご家庭からも協力をお願いします」というようにやっていきます。ところが、ややもすると、これまでの自分たちの常識が優先して、保護者からの要望に「それはムリ」と応じてしまいはしないでしょうか?もしかすると、私たちにはうかがいしれないことですが、学校と教育委員会にはそう言わざるを得ない実情があるのかもしれませんが。

 文部科学省も厚生労働省も「家庭と教育と福祉の連携(トライアングルプロジェクト)」を謳っています。でも、現場はそれが認識されているのでしょうか?たとえ認識されていてもどのようにたらいいのかがわからないと思います。どの関係者もお互いを尊重して、虚心坦懐に、粘り強く話し合いを始めてはどうかなと思うのです。

百合の花

喜びの小学校入学

ーー  10月31日  ーー  

ーー学校が大好きで、びっくりするほどの発達をーー

自閉症スペクトラムがある幼児(A君)が小学校入学にあたり、お母さんは、「スクールバスで登校させたい」と言ったのでした。私は内心「だいじょうぶ?」と思ったのでした。ところが、実際やってみたら、問題なくできました。初めのうちはお母さんが付き添ったのですが、ほどなく一人で乗っていけました。

 やはり子どものことはお母さんが一番わかっていますね。

 バス停までのお母さんの送迎も、フルにしていたのから途中までの送迎にして、だんだんとA君ができる部分を増やしています。たまに行き違いになることがあると、A君が一人で家に帰っていることもあります。

 時には予期せぬことが起こります。先日お母さんがランドセルに定期券をつけることを忘れてしまいました(前日に行事があって定期券は別のカバンに付け替えていたのでした)。バスを降りる頃になって、本人もぞもぞと定期券をさがしていたようです。その様子を見た6年生が運転手さんに「この子が定期券を忘れたようです。帰りのバスか明日のバスで定期券を見せます。普通におろしてやってください」と言ってくれました。この6年生は帰りのことも心配してA君の教室に来て先生に話しました。なんとやさしい子でしょう!

 A君の特徴に配慮して担任の先生がとてもよく指導してくれています。

 A君は学校が大好きだから、生活全般も落ち着いてのびのびと過ごせるのですね。

お母さんとランドセルの子